いつもより長い一日

 十月三十一日。暇を持て余した人間でない者たちが、朝から古城にぞろぞろと訪れた。本日行われるらしい人間たちの行事を真似て、イヴにお菓子を授けようと遠路はるばるやって来たのだ。お菓子を渡す方がやって来る行事ではなかったはずなのだが、本来はミリたちに関係のないイベントごとのため、深く指摘はしないことにした。絵本で読んで本イベントを楽しみにしていたイヴは大変喜んでいるようだが。

 朝一番にやって来たのは、最も遠方に住むヨーコだった。いつものように正面の玄関ではなく、ミリの部屋の窓から侵入しての登場である。

「ほれ姫、我が国の菓子ぞ。生物ゆえ本日中に召し上がるのじゃぞ」
「つぶつぶのあんこじゃない?」
「つぶつぶのあんこじゃない方じゃ。姫もミリもあれは食べぬからのう…」

 以前持ってきたことのあるつぶあんの饅頭を口にした際、イヴは渋い顔をしていた。ミリもあの食感がどうにも好きになれず、ヨーコがつぶあんとこしあんの両方を持参すると、ヨーコが一人でつぶあん全て食さなければならない。そんなことが二、三回あった後、ここへもって来る饅頭は全てこしあんのものになったのだ。
 そして本日、ヨーコは別のものも持参していた。何でも出て来る着物の袖口から更に取り出したのは、桐の箱に詰められた小さな星の粒だった。

「これは姫も喜ぶじゃろう、金平糖じゃ」
「かわいい!」
「この間イザベルが持って来たものと似ているな」
「伴天連のそれとはちと違うぞ。食べてみるがよい」

 得意げに一粒、イヴの口に放り込む。ミリも促されて小さな砂糖の塊を口にした。その瞬間、甘さが口いっぱいい広がり、とげとげした星は見る見る内に口の中から消える。イヴはその星のごとく目をきらきらと輝かせた。

「…溶けた」
「そうじゃろうそうじゃろう! 我が国自慢の職人の逸品じゃ!」
「お星さまもうなくなっちゃった!」
「良いか姫、これは大事に食べるのじゃぞ。貴重な菓子じゃからの」
「わかった!」

 後からヨーコが、「ほんとにほんとに貴重なのじゃ、くれぐれも一気食いしないように見ておくのじゃぞ」と耳打ちをしてくる。その深刻そうな表情に、何らかの権限を使って無理に用意させたのだろうな、と、ミリは遠い目をしてしまったのだった。



***



「イヴ、お菓子だよ!」
「それ僕が作ったんだけどね」
「お前たちまでわざわざ今日来る必要ないだろう」

 昼頃に姿を見せたのは、双子の姉弟、アリエスとアルセーヌだった。一見白髪に見えるが、月の下で銀色に輝く美しい髪を持つ二人。その正体は、凄絶な吸血鬼狩りから逃げ延びた吸血鬼の生き残りだ。フランスの深い森の奥で暮らしているが、ミリと同じように同族の者はもう世界にも少ないらしい。
 今ではもう吸血鬼とは名ばかりで、人の血を口にすることなく生きている二人は、ミリの作る血液の代わりになる薬をもらいに定期的に古城を訪れている。そろそろ薬の切れることだとは思っていたが、今日という日を訪問に選んだのは故意に違いない。
 だが今はあまり来て欲しくなかった。というのも。

「なんだヨーコもいたの?」
「いては悪いかの」
「用意した焼き菓子がイヴとミリと私とアルセーヌの分しかありませんことよ」
「我の口には合わん故、気にすることないぞ」

 アリエスとヨーコは反りが合わない。互いにいい年数生きているため派手な喧嘩をする訳ではないが、ミリの胃が痛むような応酬を毎度繰り返すのだ。人の家で言い争いをするのではない、と諫めた回数は数知れず。特にイヴを巡ってはこと意見が合わないようだ。決してこの二人がここを訪れる回数は多くはないのに、なぜか鉢合わせする確率は高いので、何かそういう巡り合わせの元に生きているのだろう。
 二人が争っている間に、アルセーヌがイヴに持参した焼き菓子を渡している。アリエスとは違い、料理の得意なアルセーヌは、ここに来る度に何かしら手土産を持って来てくれる。イヴもそれを気に入っており、…というよりイヴはアルセーヌに随分懐いている節がある。

「どうぞ、人間のお嬢さん」
「あのね、イヴね、アルセーヌのお菓子、いちばん好き」
「それは何より。ヨーコさんが生菓子を持参すると思ったので、こちらは日持ちする焼き菓子ですよ」
「だいじに食べる…」

 イヴとアルセーヌのやり取りを見ていたヨーコが、何とも言えない渋い顔をする。決してアルセーヌはヨーコを悪くは思っていないのだが、ヨーコにとってはアリエスもアルセーヌも変わらないらしい。

「気障ったらしい奴じゃ。あの双子は姫の教育に良くないのではないかの」
「イヴがアルセーヌを気に入っている。引き剥がす道理はない」
「その内ぺろりと食ってしまわんか」
安曇あづみ
「……冗談なのじゃ」

 いくら嫌いな相手でも、言って良いことと悪いことがある。ミリはヨーコの本当の名前を読んで窘めた。ヨーコも分かりやすくしゅんとしてしまった。
 今の世の中、ミリたちのような魔女も、双子のような吸血鬼も、それ以外の人間ではない種族は皆、人間に危害を加えることを良しとしない。その暗黙ルールがあるからこそ、息をひそめて暮らすことを許されており、向こうもこちらには干渉をしていないのだ。だから、いくらイヴが捨て子とはいえ、吸血鬼である彼らが手出しをすることは決して許されないことなのだ。
 それに、この双子も壮絶な過去を背負っていて、ずっとこうして笑って生きて来たわけではない。同じ気持ちを知るミリだからこそ、たとえ騒がしくなろうとこの二人の訪問を邪険に扱うことはないのだ。ヨーコだってそうである。元は一介の化け狐であり、今のように祭られるほどの神階につくまでは苦労もしたはずである。
 喧嘩をするなとは言っていない。普段はミリとイヴの二人で静かに過ごす城の中が、時々このように賑やかになるのは、ミリも嫌いではない。

「僕は人間には手を出しませんが、ヨーコさんならぺろりかも知れませんね」
「ひ…っ! やはり此奴、いけ好かんのじゃ!」

 ほどほどにしてくれれば、とミリは顔を引き攣らせる。ちらりとイヴの機嫌を窺えば、アルセーヌにもらった焼き菓子の入った籠を、大事そうに抱えていた。



***



 ヨーコも吸血鬼姉弟も帰った後、夕食の頃になって現れたのはレイラだ。先日、魔法による古城の一斉清掃を依頼したばかりなので、来ないとばかり思っていた。しかし彼女もこの行事に乗っかるらしい。

「まあ私の手に掛かればあらゆる菓子を作り放題よ」
「レイラすごーい!」
「これから夕食だ、あまり作り過ぎてくれるなよ」
「それなら食後のデザートね」

 彼女こそ、数少ない魔女の生き残りの仲間である。魔法のほぼ全てを失ったミリとは違い、まだ現役で全ての魔法を操ることができる、正しく魔女だ。特に家事魔法を得意とするレイラは、家事代行業を営んでいる。もちろん、人間以外の種族に対してだが。
 イヴを拾ったあの日、ミリが真っ先に相談したのがレイラだった。互いに不可侵のルールを守り抜いて来たのを、突如として破るきっかけとなったイヴの存在。当初はレイラも、イヴを引き取ることを良くは思っていなかった。どこか孤児院にでも置いて来いと言ったくらいだ。けれど、結局はミリがこの城で共に暮らすことを選んだ。以降、気にかけてくれているのか、それまでよりも頻回に会いに来てくれるようになった。

「情って沸くものね」
「なんだ、藪から棒に」
「面倒事はごめんだと思ったのよ、最初は」
「散々嫌味を言われたな」

 自慢の調理魔法で夕食の準備を手伝うでもなく、ただ雑談をしにレイラはキッチンに入って来た。キッチンから扉一つで繋がるダイニングルームでは、今日のお菓子のお礼にと、イヴがたくさんの手紙を書いている。
 たった二人で住むには広すぎる城。その動線を考えてこのような大改造ををしてくれたのもレイラだった。もちろん無償などではない。友人価格だとは言われたが、さすがにかなり魔力を使用するため、それなりの値段を支払った。家事代行業は今の時代、非常に有難がられ、需要も大きいため、レイラはかなり貯め込んでいるという話である。

「子どもって人間でも変わらないのね」
「…そうだな」

 まだペンの扱いも上手くできないイヴだが、何かプレゼントされた際には必ず手紙を書いている。きっとこの子は賢くなるわね、というレイラの言葉に、親馬鹿が過ぎるぞ、と返す。

「ヨーコの国では、七つになるまでの子どもは神様なんですって」
「なにか違うような気がするが…」
「七つのお祝いしましょうね、ヨーコもイザベルも呼んで」
「イザベル…あいつ今どこにいるのだ」
「まだエジプトよ。そのままギリシアに行くとかなんとか」
「忙しない奴だな」

 本日顔を見せなかった旧い友人に思いを馳せる。イヴも「ベルに会えないの?」と先程寂しそうに呟いていた。誰よりも気まぐれな彼女には、まだ暫く会えそうにない。
 そんなイザベルから預かったのだという菓子を渡される。

「…いつの菓子だ」
「いつだったかな…食べられると良いんだけど」
「気持ちだけもらっておこう」
「イザベルには黙っておくわ」

 どう考えても食べられるかどうか怪しげな包みを見て、ミリは顔を歪める。気持ちは有り難いが、長らく会えないと分かっていて日持ちのしない菓子を預けるのはどういうことなのだろうか。レイラも食べられる内に持って来てくれれば良かったものを、イザベルのことだ、きっと今日という日に持って行けとリクエストをつけたに違いない。

「イヴにも言わないようにな」
「それがいいわ」

 いつも通り夕食を作る。けれど今日はいつもと少しだけ違うレイラと三人、そしてレイラの作る特別なデザートがある。それでようやく、今日という長い一日が終わりを迎える。きっと疲れたイヴは、いつもより早く眠いと言い出すはずだ。その後、ゆっくりレイラと今日の話をしようとミリは思った。