死因は公表されていない
パソコンから音楽が流れている。先日、静かにミュージシャンを引退した東有理の最後のCDだ。アルバム『君と眠る街』のリードトラックは、アルバムと同名曲である。アルバムの最後、十二曲目に位置するその曲が、文字通り彼女が最後に製作した一曲となった。
彼女の幕引きと同じく、静かなピアノのイントロから始まり、ギター、ドラム、そしてストリングスが入る。そこに東有理の涼やかな声が重なって行き、最後はまたピアノだけに戻る。彼女の得意とする中音域から、泣き声にも聞こえるサビの高音を聴いて、決して泣かなかった彼女の代わりに私が泣いた。
本当にこれが正しい終わりだったのだろうか。私には今も分からない。ただ誰も、彼女を引き留めることはできなかった。今日、東有理は東有理であることを自らの手で終わらせたのだ。
***
後世に語り継がれるほどの大作を生み出せる作家が、現代日本に一体どれほどいるだろう。他者の作品を読まない作家に未来はないと言う。だが、その教訓に忠実に従い、それなりの読書量をこなしていても未来が見えないのが私―――仁科晶穂という作家だ。何年も前に『濃紺の明け方』で新人作家賞を獲ったものの、それきり鳴かず飛ばずである。
そんな崖っぷち作家の私は、今日も順調に原稿が滞っている。今日こそ書けそうな気がしたのだが、気がしただけで日は暮れてしまった。本来、女性ファッション誌で連載をしている中身スッカラカンの恋愛小説の方は、嘘かと思うほど筆が進む。しかしながら、その順調だったはずのスッカラカン小説さえ、今日は行き詰まってしまっていた。
普段は、割り切って別人格を下ろして書いている。意外と評判も良いらしく、今の所打ち切りの話も出ていない。ということは、実はああいう方が向いているのだろうか。
(いや、違う……)
本当は、私はもっと違う小説を書きたいのだ。恋愛を絡めない、しかし大人の読み物として良い娯楽となるような小説が。
お手本となるような書が、手元にある。先日、若くして亡くなった同世代の作家、並木夏海の遺作だ。『彼女が星になる前に』というタイトルのそれは、星型カットが施されたダイヤモンドの写真が表紙のハードカバー本である。映像化もされ、皮肉にも彼女の作品中最大のヒットとなった。
その小説は、大雑把に言えば、やりたいことを山ほど残した中で余命宣告をされた女と、生きる意義を見出せず無為な毎日を送る女が二人旅に出る話だ。並木夏海は人間を書くのが上手い。人間の心の機微、移ろい、葛藤、矛盾―――綺麗な所も汚い所も包み隠さないにも拘ず、何の嫌味もなく表現できる作家だった。私の憧憬が彼女の本の全てにある。
彼女自身もとても好印象な人物だった。授賞式で会った時に連絡先を交換してもらったのが、彼女との始まりだ。以来、時たま連絡を取り合い、数か月に一回程度は会ってお茶をする仲だった。友達と言うほど親交があったわけではないが、知り合いだとか、作家仲間だと言うと、それでは余りによそよそしい。私と並木夏海は、作家にあるまじき”名前の付け難い”関係だった。
徐にハードカバーに手を伸ばそうとしたその時、それを制する女性の声が飛んで来た。…いけない、原稿を取りに来た担当の行原女史がお待ちかねであった。今日の夕方には、と今朝電話をしたのだが、約束の時間に書き上げることができなかった。休載するわけにもいかないと言うのに。
「仁科センセ、読書はご自分の原稿を終えてからですよ」
「はいはい…」
ぴしゃりと言い放つ彼女は、いつも容赦がない。甘やかされ過ぎるとすぐに怠けてしまう私の性質をよく理解している。これまでのどの担当よりも私の扱いが上手く、私も仕事がやりやすい。
やっつけ仕事と言うと聞こえは悪いが、とりあえず書けないなりに書き上げて原稿を行原女史に渡した。ひとまずはクリアらしく、チェック後の第一声である「お疲れ様でした」を彼女は口にした。
待たせたお詫びに、行原女史の好きなハーブティーをいれる。これもいつもの流れだった。よほど時間に余裕のない時以外は、行原女史も拒否せず一服して行く。湯気の立ち昇る耐熱ガラスのコップを彼女の前に置いた。お気に入りの赤い花柄のそれは、一人暮らしの癖にいくつかまとめ買いをしてしまっている。いただきます、と言ってまず一口飲むと、大きなカバンの中から行原女史が一通の手紙を取り出した。
「編集部宛に届いていた手紙です」
それは、薄いグリーンの封筒だった。脆いメンタルの持ち主の私のために、手紙に関してはいつも厳しい検閲を働いてくれている。こうして渡されると言うことは、特に批判的な内容ではないのだろう。しかし、一度開封済みのそれを受け取り、中身を取り出そうとしたその時、「待って下さい」と止められた。
「その差出人、並木先生のご友人からだそうです」
「並木先生の?」
思わぬ名前が彼女から飛び出し、手紙と担当女史を交互に見遣る。目が合うと、いつも冷静な行原女史は、珍しく気まずそうに目を逸らした。ただのファンレターではないことを察するには十分な視線の動きだった。
緊張しながら二つ折りの便箋を開く。封筒と同じ色をしたそれには、細いボールペンで書かれた文字が並んでいた。びっしりと、それ三枚に渡っている。仁科晶穂様と丁寧な字で書かれた一行目、本文は挨拶から入り、軽い自己紹介―――見たことのある名前だと思えば二、三年前から突然売れ始めたミュージシャンの東有理だった。そして、本旨の書き出しはこうだ。“並木夏海を殺したのは自分です”。そのたった一文を読み、弾かれたように顔を上げた。
「行原女史、これって…」
「比喩だとは思いますけど」
並木夏海の死因は公表されていない。告別式も身内だけで行われており、私はもちろん、編集部の誰も足を運んでないらしい。後日挨拶にだけは言ったらしいが、友人でもなんでもない私は、さすがに彼女の実家までは知らず、結局挨拶にすら伺えず仕舞いだ。
決して東有理が直接手を下したわけではないだろうが、終始穏やかではない内容で進む手紙。胃の底がずうんと重くなる感覚に襲われる。読み終えた途端、長くて重い溜め息が漏れた。
「懺悔ですよね、これ」
東有理の人格が、このたった一通の手紙からは見えて来ない。至って冷静な内容に、いっそ不気味さすら感じる。しかし、作家としてなのか、並木夏海と交流のあった人間だからなのか、好奇心も疼く。手紙の最後に書かれていたアルファベットの羅列は、東有理の連絡先だ。その一行を指先でそっとなぞった。
東有理に会おう。