未必
いつものように、行原女史が編集部に届いた私宛ての手紙を渡しに来た。先日、ファッション誌での連載小説が完結し、その感想がぱらぱらと届き始めているのだ。雑誌に関わるスタッフたちにとっても、あの連載は好評だったようで、「ぜひこのまま次も」と言われている。その打ち合わせの方が、本日彼女の訪問のメインの用件である。
「無理にとは言いませんけどね。ただ、仁科先生には合っていると思いますよ、あの雑誌」
「あんまり実感湧かないけど…」
「そんなもんでしょう。事実、私が編集部で撥ねてる読者からのコメントはほとんどありません」
「いやそれ、届いてるコメント少ないだけじゃない?」
「またそういうことを言う……」
やれやれと言わんばかりに、大げさに彼女はため息をついて見せる。
「並木先生の作品を神聖視しているのは分かりますけどね」
「いや、神聖視しているわけでは」
「仁科先生がああいう作品を書くのは無理です」
「無理」
「仁科先生に並木先生のような繊細さはありませんから」
「繊細さ」
容赦なく強いワードを飛ばす行原女史に思わず項垂れる。確かに、生い立ちも感性も何もかも違う並木夏海と同じような作品を書くことは私にはできない。誰一人としてその作家の代わりにはならないことは分かっている。憧れて真似てみても、また二番煎じと酷評されるだけだ。
「ただ、先生には完全なるフィクションを書ける強さがあります。それは並木先生にはなかったものです」
「なにそれ」
「それを考えるのはご自分でしょう。さあ、雑誌の連載は引き続き受けるつもりですからね、きりきり考えて下さいよ」
「行原女史って他の作家とどうやって仕事しているの……」
こんな風に小説家の尻を叩く編集者が他にいるだろうか。少なくとも、松野陽加はそういうタイプではない気がする。なんせ、並木夏海を公私共に手厚くサポートしていたくらいだ。いや、あれが寧ろ本来の形ではないだろうか。
しかし、行原女史は毅然として言い放った。
「仁科先生は甘やかして筆の進むタイプではありませんから」
私だって人を見てやっています、としれっと続ける。東有理を前にした時の借りて来た猫はどこへやら、あんな彼女はもう二度とお目に掛かれないのかも知れない。
東有理のファンだという行原女史は、最後のアルバム『君と眠る街』を三枚買ったらしい。聴く用、保存用、私に渡す用らしいが、私は私で既に入手していたため、余分な三枚目は予備の保存用になった。
このアルバムを聴き切れば、彼女の新しい音楽をもう二度と聴けない。そう言った行原女史は、まだCDを聞いていないのだという。
中には数年休養し、戻って来るミュージシャンもいるが、果たして東有理はどうだろうか。並木夏海をなくし、彼女は「自分の中からもう音が出て来なくなった」と言った。自身の親友を弔うような曲を最後に残し、先日芸能活動を終了したのだ。
「それじゃあ私は帰りますからね、あまり恵比寿で飲み過ぎないで下さいよ」
「それ、一体どこから……」
「どこでしょうね」
行原女史は怪しげな笑みを浮かべた。並木夏海の交友関係を巡っている間に、私に関する情報網も広がってしまった気がする。頻繁にあのお店に出入りしているわけではないが、何かあれば飲みに行くのは習慣になりつつある。今日だって既にこの後、恵比寿に行きたくなってしまっているのだ。
心の内を読まれたようでどきどきしていると、「そういえば」と大きなバッグから大きめの茶封筒を取り出した。浮き出た形から、ハードカバーの本が入っていそうである。
「これ、松野さんから預かりました」
「中身は?」
「さあ、そこまでは。ただ仁科先生に渡して欲しいと言って、編集部を辞めました」
「辞めたぁ!?」
「ええ」
そういうことは最初に言わないか。何か文句を言いたくて、けれど言えなくて、魚のように口をぱくぱくとさせてしまった。
別に、会社を辞めること、それ自体は珍しいわけではない。今の時代、最初に就職した企業に骨を埋めなければならないわけでもない。まして、松野陽加は優秀な編集者だった。キャリアアップや今後のライフプランを考えた上での退職だってなんらおかしくはない。ただそれは、神戸での出来事がなければ、だ。当然、あの日あったことは私と松野陽加、そして並木夏海の両親しか知らない。私だってぺらぺらとなんでも行原女史に話しているわけではないのだ。だから、何も知らない行原女史は松野陽加の退職には何の疑問も抱いていない。
「大分引き留められたみたいですけどね」
「そ、そりゃそうでしょう…松野さんって有村先生も担当してなかったっけ…」
「ええ、有村先生も先日編集部に慌てて駆け込んで来ていましたよ」
けれど、周りにどれだけ引き留められようと、縋られようと、松野陽加の気持ちは変わらなかった。申し訳ございません、と深々と頭を下げられれば、もう誰も何も言うことができなかったのだという。ちょうどその場を通りかかった行原女史も見かけたようだが、お葬式状態だったらしい。
とんでもない爆弾を落として、今度こそ帰ります、と行原女史は玄関に向かう。その姿を見送って、玄関に鍵をかけた。
リビングに戻り、松野陽加からだという封筒を開封する。中身は想像した通り、ハードカバーの本が一冊入っていた。それと共に、小さなメモ書きもひらりと出て来る。床に落ちたそれを拾い上げ、見慣れない筆跡を追う。細いペンで書かれたメモは、当然だが松野陽加から私に宛てたものだった。
私に直接会えず申し訳ないという謝罪、今後も私を応援しているという励まし、そして。
―――並木先生の遺作を仁科先生だけに託します。
その本は、ほぼ完成だったという並木夏海の遺稿を、松野陽加が自費で制作したものだった。表紙にも中表紙にも奥付にも、作者の名前は明記されていない。出版社も通さず、あの原稿を握っていたたった一人の人物、松野陽加が作り上げたのだ。
あの人は、私の全てだった―――そんな一文から始まる小説は、私が以前松野陽加から借りたUSBに入っていた原稿の書き出しと同じだ。恐らく、中身は何も手を加えられておらず、あのデータのまま、そのまま本になっている。
世に出ることのなくなってしまったこの作品に、命を吹き込むことが松野陽加の最後の仕事だった。本と言う形になり、並木夏海の最後の作品は確かに私に届いた。私と松野陽加以外の読者がいなくとも、データではなく、こうして手に取れる本の形で。
「発行者……」
発行者、松野陽加。著者の記名がなく、発行者だけ記されている。それは、何かあれば自分が責任を取るという彼女の覚悟にも見えた。
愛する人のために全てを捧げ、尽くし、投げ出し、そして最後はそのために身を滅ぼして行く。並木夏海にしては異色な、破滅で終わる作品だ。文章の端々に見え隠れする棘は、これまで並木夏海は隠し持っていたというのか。
彼女の書く日本語は美しく、ストーリーはあたたかい。現実と理想の間にあるような、ありそうでなさそうな、なさそうでありそうな作品に、読者の誰もが夢を見たと思う。こういう人間関係を築きたい、と。恋愛であれ、恋人であれ、そして親子であれ。親子が主軸の作品でさえ、その二人が決して険悪なままで終わることはなかった。
けれど、この作品だけは違う。暗い水底へ身を落とし、決して主人公は報われない。相手への愛情と憎悪を以て最後を迎えている。そこには確かに、東有理の見つけた初稿の毒が含まれている。まるきりとは言えないが、純粋な愛情だけではないことだけはしっかりと表現されていた。
私は、それを東有理には言わなかった。私が、我欲に従って言わなかった。作家として、東有理には並木夏海の作品が棘として刺さっていて欲しいと思ってしまったのだ。これでは並木夏海の両親のことを棚に上げられない。
「それでも、良かった……」
それでも良かった、その人のために自分がどうなってしまおうと構わなかった―――未必の名を冠する作品の締めに相応しい言葉である。
本を閉じて自身に問う。これで良かったのかと。それに答えてくれるこの著者は、もうこの世にはいない。きっと何度でも自身に問い続けながら、私も生きて行かなければならないのだ。答えなどどこにもないと分かっていながら、それでも。
真新しい本をデスクにしまう。東有理の背負った咎の味が、私も分かった気がした。