生を自ら手放すなんて
一人での作業時間というのは、孤独を一層感じさせる。身近な人間の最後を追う作業は、その時間は、思った以上に負担がかかる。普段小説の展開に煮詰まった時よりも余程だ。それに勝つには自身の好奇心と、並木夏海の最後に救いを見つけたい、その二つの強さだけが必要だった。
あらゆるクリエイターに、好奇心は必要だと思う。もちろん、作家にも。不謹慎だが、東有理に会おうと決めたのも、手紙を読んで好奇心が湧いたからだった。加えて、昔から瞬発力はあると周りからは評価されて来ていた。そんな私が次にコンタクトを取ったのは、ピアニストの瀬名はすみである。
並木夏海と瀬名はすみは親しい友人という間柄だったらしい。また、並木夏海の小説が映画化した際、挿入歌から主題歌まで、劇伴と呼ばれるもの全てを担当したのが、瀬名はすみとバイオリニストの城春輝だ。
こんな事でもなければ足を運ぶ機会もなかったであろう音楽事務所。アポイントメントは取ってあるものの、先日、恵比寿のバーを訪れた時とはまた違う緊張に見舞われていた。ビルの入り口で名前と瀬名はすみの名前を告げると、数分後に彼女は一階まで降りて来てくれた。
「初めまして、瀬名はすみです」
「仁科晶穂です。お忙しい中、時間を取って頂いてありがとうございます」
「とんでもない、まさか仁科先生にお会いできるなんて思いませんでした」
いつも夏海さんから話を聞いてました、と、彼女は明るく言う。私とさほど歳の変わらないピアニストのはずだが、実年齢より若く見える。東有理もだが、人に見られる仕事をしていると、往々にして“そう”なるのだろうか。
さすがにエントランスで長々と社交辞令をやり取りするわけには行かない。どちらからともなく、では外へ、と足をビルの出口に向けた。瀬名はすみの行きつけなのか、迷うことなく進む彼女に着いて行くと、オフィスビルに入っている小さなカフェに辿り着いた。お昼のピークも過ぎたこの時間では、ビルの地下の片隅のカフェはかなり落ち着いている。一番奥の角、店員からも見えにくいような席を彼女は選んだ。
「コーヒーが美味しいんですよ、ここ」
「じゃあ、コーヒーを」
「ふふっ」
「何かおかしかったですか?」
「私の周り、コーヒー飲める人が少なくて」
彼女には城春輝というバイオリン奏者の相方がいたはず。城さんもですか、と聞くと、彼はかなりの甘党です、と返って来た。ファンの間では知られた情報なのかも知れないが、コーヒーをブラックで飲んでいそうな風貌からは、その甘党具合は想像できない。かなりクールなバイオリニストのイメージがあったのだが。
そういう瀬名はすみは、届いたコーヒーには、砂糖もミルクも入れず口をつけてしまう。食の好みは似ていなくても音楽のコンビというのは上手く行くものなのだろうか。音楽の授業以外では楽器などにはからきし触れずに生きて来たため、不思議に思った。
なんでもない雑談を少し続けた後、ふと会話が途切れる。互いにカップをテーブルに置くと、瀬名はすみは小さく息を吐いた。そして、「夏海さんの話ですが…」と切り出す。ええ、と相槌を打つ私も俄に緊張した。
瀬名はすみが並木夏海と知り合うきっかけになったのは、あの恵比寿のバーらしい。当時まだプロのピアニストとして駆け出しだった瀬名はすみは、よくバーのピアノを練習に使っていたのだという。そこへ、開店前に顔を出すことの多かった並木夏海が鉢合わせし、瀬名はすみに声をかけたのが始まりだった。
「夏海さんなんて国立音大のピアノ専攻ですから、私より余程上手いんですよ」
「瀬名さんもピアノ専攻では名門の音大じゃないですか。それに今はプロのピアニストでいらっしゃる」
「とんでもない、やはり夏海さんは基礎からして怠けていた私とは違いましたから」
天才っているんですよ、なんて冗談めかして言うものの、次の瞬間にはふっとその表情が翳った。誰しも、まだ亡くなって長い時間の経っていない並木夏海の話をするのは苦しいのだ。瀬名はすみのように故人と親しい友人であればなお。
「色々な臆測が飛んでいるでしょう」
「えぇ」
「夏海さんと親しいと知った人たちから、私も色んなことを訊かれました。それこそ、耳を塞ぎたくなるような根も歯もない噂まで」
「…お察しします」
噂の中には、並木夏海が自殺したと言うものまであった。やれ因縁がどうの、やれ痴情の縺れがどうの、好き勝手ゴシップのネタにされたりもしている。だが、彼女と本当に親しい人間からすれば、そのどれも馬鹿馬鹿しいものばかりだ。彼女はマスコミのネタになるような話題とは無縁の人間だった。
それに生前、まだまだ書きたいものが尽きないと語っていた彼女が、生を自ら手放すなんて思えない。それは当然、瀬名はすみも分かっていたらしい。
「夏海さんは自殺なんかじゃありません。あんなにも誰かと生きることを描く人が、自殺するなんて有り得ない」
並木夏海のことを語るピアニストの拳は、強く握られ震えている。死して名誉の守られない親友を思うと、憤りを感じずにはいられないのだろう。彼女もまた、駆け出しの頃にメディアに面白おかしく取り上げられた経緯がある。同じ痛みを思い出しているだろうことは、唇を噛むその表情から窺い知ることができた。
作家には様々なタイプがいるが、並木夏海は自身の憧れや理想を作品に反映するタイプだった。並木夏海のあらぬ噂を流す人間は、彼女がそういう作家であり、だからああ言った作風になるのだと全く理解していないのだ。
それでも瀬名はすみや私は、もしゴシップ記事のターゲットになったとしても、いくらでも反論できる。だが、並木夏海はもう、そうは行かない。死人に口なしだ。
「また、なっちゃんの小説に弾かせてくれるって、言ってたのに」
弱弱しい声でぽつりと漏れた言葉には、呼び慣れているであろう愛称がまざっていた。
映画化された並木夏海の最大のヒット作、『彼女が星になる前に』―――その映画の主題歌、挿入歌の全てを手掛けたのも城春輝だ。作中出て来る一人のピアニストは瀬名はすみがモデルだと言われており、映画でのピアノ演奏吹き替えも同じく瀬名はすみが行っていた。二人の関係性も含め話題となったその映画は実際の評価も高く、名前は忘れたが何か賞を受賞していたはずだ。試写会には私も招待されたが、原作者の並木夏海のみならず、城春輝と瀬名はすみが登壇していたこともよく覚えている。あれは話題作りのためのアプローチではなく、公私ともに深い交流があり、互いをクリエイターとして尊敬していたから実現した企画なのかも知れない。
その証拠に、映画の公開が始まる前には、小説誌で二人が対談している記事も読んだことがある。普段からよく連絡を取り合っていること、互いに煮詰まると一緒にお酒を飲むこと、プライベートなことにまで踏み込んだあの対談は、双方のファンにとってはたまらないものだっただろう。
それこそ、東有理の存在を知るまでは、並木夏海は誰より瀬名はすみと最も距離の近い人物だと、私も思っていた。並木夏海と会った時、瀬名はすみの名前なら何度も聞いたことがあったくらいだ。瀬名はすみはいいピアニストだ、また一緒に作品を作ってみたい、明日死ぬとしたら瀬名はすみのピアノを聴いていたい―――とにかく、並木夏海は瀬名はすみのピアノを愛していた。
それとは逆に、東有理の名前は一度も聞いたことがなかった。隠しておきたいほど、誰にも言いたくないほど、大切な領域と言うのはある。それをいくつも持っている人間もいる。その触れられたくない領域に、東有理を置いていたのだろうか。
「なっちゃん、よく仁科さんの話をしていました。同世代にいい作家がいるって」
「私にもよく瀬名さんの話をしてくれましたよ」
「三人で会いたかったですね。きっと、いい関係になれた」
「本当に、…ほんとに」
最後に並木夏海と会った時のことを思い出す。あの時、彼女は新作に取り掛かっている、と言っていた。自身の進捗のことを話すのは、実は珍しかった。終わった仕事の話はよくしたが、互いにやはり同世代の作家として意識したところはあったのか、今現在の仕事の話はあまりしなかった。だから、よく覚えている。完成したら真っ先に読んでほしい、なんて言われたのだ。一体、どんな作品となる予定だったのだろう。
瀬名はすみから彼女の話を聞くほどに、彼女が恋しくなる。彼女と話したことや、会った場所、声や表情が思い出されて切ない。東有理と話した時も、恵比寿のバーの店長と話した時も、こんな気持ちにはならなかった。今更こんなにも並木夏海を思い出して苦しいのは、瀬名はすみが私と同じ、彼女の友人だからだろうか。同じ目線から彼女を追想できるからだろうか。
「もういないんですね、なっちゃん」
ごめんなさい、と言って彼女は小さなバッグからハンカチを取り出した。私は、目が熱くなるのをコーヒーを飲み干して誤魔化す。
私も瀬名はすみも、同じように並木夏海が好きだった。いい友人だった。同世代の、自分にごく近い友人が亡くなるという経験は初めてで、けれど実感が湧いていなかった。いい友人とはいえ、私は瀬名はすみほど並木夏海と頻繁にやり取りはしていない。だから、つい忘れてしまう。並木夏海は、もうこの世にいないのだ。訊きたかったことも、話したかったことも、今になるとこんなにも溢れて来るのに。
「…一つお聞きしたいのですが」
瀬名はすみが落ち着く頃、これが最後の質問だと思いながら、私は切り出した。
「夏海さんがなぜピアニストではなく小説家を選んだのか、瀬名さんは聞いたことがありますか」
訊きたくても訊けなかったことの一つだ。彼女の触れられたくない場所ではないだろうかと、遠慮してついに彼女の口から聞くことは叶わなかった。瀬名はすみなら訊ねたことがあるかも知れない。あれほど雑誌の対談で色んなことを暴露していたからには。
すると、やはり瀬名はすみは知っていたらしく、もちろんです、と答える。くしゃりと赤い目で笑いながら答えてくれた。
「そんなの、ピアノより小説を好きになってしまったからに決まってるじゃないですか」
「ピアノより、小説を……」
「なっちゃんがなっちゃんを表現するには、ピアノでは圧倒的に何か足りなかったんでしょうね」
腑に落ちた。並木夏海の選ぶ言葉は美しい。負の感情すら、嫌味のないほどに。そして、あの独特の文章のテンポの良さと読みやすさは、音大卒のピアニストというルーツがあるからなのだろう。けれど、残念ながらピアノには言葉がない。彼女の持つ語彙や表現力を遺憾なく発揮するには、ピアノでは役不足だったのだ。決して、東有理が音楽で身を立てたからではない。東有理の存在があり、身を引いたからではない。東有理のためなんかではない。並木夏海は、ちゃんと自らの手で小説家の道を選んでいたのだ。
その事実に、私は心底安堵する。並木夏海の死に、私は初めて涙を流したのだった。